2016年09月

以前に練習会でみせた言霊リリースがここのところ大幅に進化しました。


前回は脊椎のみを言霊の反応によってリリースしていきましたが、最近は人体全体に適応範囲が拡がり、BCSが扱う範囲と同じくらいのものを対象化できます。


近いうちに公開します。

人生についての手応えを感じるには、
「なぜ自分が存在するか」
徹底的に考えて、実践する必要があります。
数学者、外交官、哲学者etcだったライプニッツは、自分はどこにいて、なにをすべきかを常に自己問答していたといいます。


全ての存在は、
「自分の属する世界をよりよくする」

という目的を内包しています。

これは、常に他者に新しい価値を提示するということが必要になります。他者が必要としない価値は、自分の属する世界を変えることができないからです。



仕事も、価値を増やすことができなければ消滅します。

世の中の殆どの仕事が、価値の奪い合いで廃業します。顧客との密接な関係を築いたスナックの方が長続きします。



絶え間ない価値の探究、摂理への意志がない仕事は、必要とされません。仕事の本質は、積極的価値の探究で、自己存在の可能性の限界を探る過程です。



そのため、仕事は手段です。成功のために仕事する、億単位で稼ぐのが目的の場合、成功はないでしょう。価値を創造せず、他者に価値も提示しないからです。


仕事の成功は、どれだけ新しい価値を提供でき、それが世界を変えたかだと思っています。



行動しなければ話になりませんが、常に理念を見直して、自分の持っている何が世界を変えるか、目的は何か、世界でのたち位置を決めることに全てが付いてきます。


これらがあった上に、ノウハウが生まれます。

沖縄から帰ってきてから調子がおかしく、上司もパワハラ気味になったりと、何か変な流れに乗ってしまったという方。頭がパンパンでイライラするとこのと。



沖縄では、聖域せーふぁうたきに行ってからだが頭が重くなり、からだがダルい。



頭蓋は頬骨に「宇宙霊」が該当。つまり、宇宙人。取り除く。マイナスエネルギー一掃。




頭蓋にコンタクトすると、脳波がノイズだらけで、乱れている。鬱病に関する文章が沢山入ってくる。

「最近本読みましたか?」
「いいえ」
「雑誌か新聞読みましたか?」
「新聞毎日読みます」
「鬱病について調べましたか?」
「調べまくりました!」

過去に鬱病をやり、最近あやしいので、色々調べた様子。


頭蓋の動きが統合され、大脳半球も左右でしっかりシンクロしてくる。


そのままサザーランドホールドでフルクラムに合わせてリリースを繰り返すと、波ぎわに白い人たちが沢山立っている映像が入る。



そのままコンタクトしていると、異星人の印象が強まる。




「せーふぁうたきって海沿いでしたね?」
「そうです」
「祈りの念で、宇宙人が寄りやすくなってるかもしれませんね、何か宇宙関係のものありました?」
「あ!宇宙が何とかというオブジェが、脈絡なく置かれてました」


これ、やばい

image



頭頂骨リフトと同時にスシュムナー管の掃除。



「すっきり!頭、散らかってたのが片づきました」


SLR検査、膝倒し、肺の活力が正常化。




かなりおかしな周波数に脳波がシンクロしていたようで、ひずんでました。



感じやすく、霊的な世界観の人に沖縄の聖地はしんどいかもしれませんね。



テクニックがある程度身に付いたら、自分はどんな情報を発信できるか、どんな価値を提供できるか明確にしましょう。我々のテクニックを必要とする人はごまんといます。それは、筋肉を揉まれたり伸ばされたりして満足するような人たちではないはずです。環境の悪化を敏感に感じる、情報に鋭い人たちでしょう。



どんな価値を提供できるか明確になれば、受け手も明確になり、その反応によって提供する側のスタンス、ポリシーは更に明確になります。



テクニックがあるのに売れない施術師は、売り方を知らないためにテクニックを使う機会すら失います。



環境悪化による人体の変化は確実に進んでいて、化学物質や電磁波、天候の影響、排出されない感情、これらに上手く対処できる施術方法は、これからの時代生活に入り込んでいくでしょう。



こういった施術方法を必要とする層とは、テクニックを手にした瞬間繋がると思って下さい。テクニックは、受けとる存在がいるから生まれます。



問題は、その繋がりをどう強くしていくかでしょう。



具体的な方法を提案していきましょう。

施術を始めた頃は、ぐいぐいストレッチしたり、操体法や活法を使ったり、タッチセラピーを使ったりしていました。



武術でも、柔よく剛制す達人の先生方は、大抵若い頃力のぶつかり合う世界に身を置いていた方々が多いようです。



力がぶつかり合うところから、工夫して力がぶつからないように制することに向かい、無駄な力を使わない技法の追究に向かうというのは必然の流れでしょう。


私は、最初から武術は身体技法の追及から入ったので、力と力がぶつかり合い、力で覇を決する世界というものはそんなに経験していません。



施術は、力を使う手技から、力を抜いて相手のからだの動きを追跡調査していく手技に移行する過程を経験しています。


ストレッチし をしていた頃は、ストレッチすることで自分のからだも鍛えるというように割りきっていましたが、余計な力を使わない為にストレッチを経験してよかったような気もします。



余計な力を使っていたから、余計な力を使わないストレッチ、相手の動きを感じ、動きを助長したり解放する手技の追究にすんなり入れたのかもしれません。元々、武術をやっていてすんなり入れたのかもしれませんが。



弁証法は、否定を介して実体が次のモメントに止揚される運動ですが(エンゲルスに簡略化された弁証法が定着しています)、全ての経験は否定を何度もくぐり抜けることでステージを幾つも通過していきます。私の場合は、力を使わない技法に入ってからのステージが幾つもありました。



武術の達人も、力のぶつかり合う世界で飽くなき工夫をしていたことで、力を使わない世界の奥深さを痛感することができたのかもしれません。




手技探究は、始めると深みに入りますが、手技で扱えない他7割程の人体の秘密を探究する必要があります。人体は、あらゆる情報の集積体で、多様な情報の影響を受けます。人体の情報エラーを適切に解除すれば、人体は正常に機能します。

↑このページのトップヘ