施術を始めた頃は、ぐいぐいストレッチしたり、操体法や活法を使ったり、タッチセラピーを使ったりしていました。



武術でも、柔よく剛制す達人の先生方は、大抵若い頃力のぶつかり合う世界に身を置いていた方々が多いようです。



力がぶつかり合うところから、工夫して力がぶつからないように制することに向かい、無駄な力を使わない技法の追究に向かうというのは必然の流れでしょう。


私は、最初から武術は身体技法の追及から入ったので、力と力がぶつかり合い、力で覇を決する世界というものはそんなに経験していません。



施術は、力を使う手技から、力を抜いて相手のからだの動きを追跡調査していく手技に移行する過程を経験しています。


ストレッチし をしていた頃は、ストレッチすることで自分のからだも鍛えるというように割りきっていましたが、余計な力を使わない為にストレッチを経験してよかったような気もします。



余計な力を使っていたから、余計な力を使わないストレッチ、相手の動きを感じ、動きを助長したり解放する手技の追究にすんなり入れたのかもしれません。元々、武術をやっていてすんなり入れたのかもしれませんが。



弁証法は、否定を介して実体が次のモメントに止揚される運動ですが(エンゲルスに簡略化された弁証法が定着しています)、全ての経験は否定を何度もくぐり抜けることでステージを幾つも通過していきます。私の場合は、力を使わない技法に入ってからのステージが幾つもありました。



武術の達人も、力のぶつかり合う世界で飽くなき工夫をしていたことで、力を使わない世界の奥深さを痛感することができたのかもしれません。




手技探究は、始めると深みに入りますが、手技で扱えない他7割程の人体の秘密を探究する必要があります。人体は、あらゆる情報の集積体で、多様な情報の影響を受けます。人体の情報エラーを適切に解除すれば、人体は正常に機能します。